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1: (^ェ^) ★ 2017/03/20(月) 20:04:18.15 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170320-00000503-san-pol

 護憲の老舗政党、社民党(正式名称・社会民主党)が5月に党本部を移転し、永田町から“撤退”する。近くの坂の名前にちなんで「三宅坂」と呼ばれた旧党本部から首相官邸近くの現在の党本部に移転したのは平成25年。今度は賃料の安い東京・中央区の隅田川沿いの物件に移り、「都落ち」の印象はぬぐえない。長引く党勢低迷が響き、党財政は火の車。背に腹は代えられない苦渋の決断だが、ヤドカリ政党の住まいは狭くなるばかりだ。

 「安倍政治の暴走を止め、改憲を阻止するため、自民党や補完勢力の議席をどれだけ減らせるかが問われる」。吉田忠智党首は2月26日の全国代表者会議で次期衆院選に向けて気勢を上げた。だが、現実は国政選挙のたびに社民党は党存亡の危機に直面している。党を率いる吉田氏も昨年の参院選であえなく落選し、国会議員は現在、衆参2人ずつの4人しかいない。

 「55年体制」の下、前身の社会党は自民党の対抗勢力として一翼を担い、最盛期は200人以上の大所帯を誇った。平成元年の参院選では土井たか子委員長(当時)の「おたかさんブーム」で大勝。自民党を過半数割れに追い込み、土井氏は「山が動いた」との名言を残した。東京都議会第1党の時代もあった。

 だが、かつての栄光は「今は昔」。しかも党勢の長期低迷は党財政を直撃している。議員数の減少が影響し、今年の政党交付金は前年比4600万円減の約3億9千万円まで落ち込む見通しなのだ。このため、党本部の移転も、党職員の希望退職募集や党費値上げの検討など、党財政再建の一環だ。

 5月から新たな党本部が入る民間ビルは、現在の賃料年約4500万円の3分の1程度で済み、浮いた資金を次期衆院選対策に充てる。代わりに移転先の広さは現在の半分と手狭になり、国会までも遠くなる。

 今回の引っ越しをめぐっては「後知恵だが…。三宅坂の『社会文化会館』から出るときに、今の場所ではなく、今度の入居先に移っておけばよかった。反省している」(吉田氏)との声が漏れる。長期の党勢低迷にあえぐ中、将来の党財政に考慮し、最初から身の丈にあった場所に移転すべきだったというわけだ。

 どういうことか-。25年に老朽化した「社会文化会館」から現在の党本部に移る際、「党の基金から高い賃料を捻出しながら、その間に党勢を拡大する」(党関係者)というシナリオだった。

 いわば貯金の取り崩しでしのごうという腹づもりだったが、そんな見通しは最初から破綻必至だった。移転当時の国会議員は計6人(衆院2人、参院4人)で、現在の4人とほとんど変わらないミニ政党だったからだ。

 肝心の党勢拡大に向けた有効打もなく、国会や首相官邸に近い一等地に移転。福島瑞穂党首(当時)は移転当初、「心を新たに、頑張る党をアピールしたい」と胸を張ったが、その後も反転攻勢のきっかけさえつかめず、頼みの基金が底をつき始めているのが実情だ。

 党関係者は「党勢回復に向けて党はいろいろ手を打ったというが、効果がない以上、何もしなかったに等しい。すでに反転攻勢ができないぐらい党勢は沈んでしまった」と手厳しい。その上で「党本部の今回の引っ越しは単なる延命措置だ」と断じる。

 現在、党本部の入り口にある浅沼稲次郎元社会党委員長の胸像も党職員とともに、新たな党本部に移転する。昭和35年、演説中に17歳の右翼、山口二矢に刺○された浅沼氏の胸像は党のシンボルでもある。ある党職員は悲哀を漂わせながら、こうつぶやいた。

 「この胸像をわれわれと一緒に持っていけなくなる時は、党が消滅する時だ」(政治部 岡田浩明)

引用元: 【社民党】ついに「都落ち」の社民党 2度目の党本部移転 ヤドカリ政党の住まいは狭くなるばかり

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