1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2016/09/03(土) 00:53:59.71 ID:CAP_USER
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▲関東大地震の後○害された朝鮮人の遺体[独立記念館提供=聯合ニュース資料写真]
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▲関東大地震の時の朝鮮人虐○場面。[海外僑胞問題研究所提供=聯合ニュース資料写真]
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▲追悼式で僧侶が読経に臨む場面
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▲西崎雅夫著「関東大震災 朝鮮人虐○の記録」

(東京=聯合ニュース)イ・セウォン特派員=「'朝鮮人をつまみ出せ'という声が聞こえた。(中略)'何のことか全く分からなかったので通訳してくれ'と大声を出すやいなや自警団が日本刀を打ち下ろした。」

1923年9月1日、日本で関東大地震発生後、東京一帯で広がった組織的な朝鮮人虐○の際、九死に一生を得て生き残った慎昌範(シン・チャンボム)氏が生前に残した証言だ。河川堤防工事現場で働いていたイム・ソンイルという名前の朝鮮人は大地震発生3日後、避難所を訪ねてきた自警団の日本語が理解できずにシン氏の名前を呼び助けを求めて無惨に○害された。

朝鮮人が自警団に順に○害されるのを見たシン氏は必死に逃げたが、身体のあちこちに傷を負って大量の死体の間に気絶したまま放置されて命拾いした。シン氏は自警団が大きな魚の様に亡くなった朝鮮人の足首に鉄鉤をかけて引っ張っていったとし「私の右足の内側と左足の内側にある二カ所の傷は私が気絶した後、警察(所)まで引っ張っていこうと付けた傷」と証言した。

93年前起きた関東大虐○目撃者の生々しい証言が西崎雅夫(57)一般社団法人ホウセンカ(鳳仙花)理事が1日出した「関東大震災 朝鮮人虐○の記録」(現代書館)に集められた。関東大虐○の真相究明に献身してきた西崎理事は日本各地の図書館を隅々まで探して集めた虐○関連証言1千100を500ページ余りの本で構成した。

この本によれば大地震当時11才だった篠原京子は「'故国に妻がおり私は何もしていません。日本でこのようにまじめに働いています」と下手な日本語で絶えず謝罪した朝鮮人の声を聞き、その後残忍な○害場面を目撃した。篠原は「男4~5人が(半○しになった)朝鮮人の手と足が薪の火の上で大の字になって動けないよう捉えて下の方から焼いていた」と証言した。

この本には創作童謡'「半月」で有名な音楽家ユン・クギョン(1903~1988)の証言も含まれている。当時、東京音楽大学の前身だった東洋音楽学校に留学中だったユン・クギョンは「'朝鮮人が井戸に毒を入れて日本人を○す」「あらゆる犯罪を犯している。朝鮮人を追い出せ」等の張り紙が時間の経過とともに増えた」と話した。

朝鮮人が井戸に毒をまいたなどのデマを日本人がどのように受け入れたのか類推できる経験談もある。作家の佐多稲子は「弟がどこから持ってきたのか私に消防隊が持つ鉄鉤が付いた棒1本を握らせた。(中略)弟はこれを私の護身用で、それも朝鮮人に対する護身用として握らせたのだ」と地震当日のことを伝えた。彼女は周辺であらゆる朝鮮人騒動が起きたので「その日の夜、不安で鉄鉤が付いた棒を抱いて地面に座って過ごした」と説明した。
(中略)

関東虐○は1923年9月1日午前11時58分発生した規模7.9の大地震(関東大地震)が東京など関東地方を強打して混乱した状況で在日朝鮮人と中国人、日本人社会主義者などが多数○害された事件だ。「朝鮮人が井戸に毒をまいた」「放火する」などのデマが流布し朝鮮人に対する敵対感が高調した中で日本人自警団、警察、軍人が虐○を主導した。虐○された犠牲者は6千人を越えることが分かったが、真相の調査はまともになされなかった。

ソース:聯合ニュース(韓国語)<関東虐○93年>「朝鮮人を生きたままで薪の火で焼か "惨状証言
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2016/09/01/0200000000AKR20160901006100073.HTML

前スレ:http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1472792780/
★1の立った時間:2016/09/02(金) 14:06:20.69

引用元: 【関東虐殺93年】 「朝鮮人を生きたまま火あぶりにした」~惨状証言集めた西崎雅夫著『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』★2[09/01] [無断転載禁止]©2ch.net

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