1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2016/10/01(土) 23:16:36.48 ID:CAP_USER
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◇『私は「捏造記者」ではない』=植村隆著。キル・ユンヒョン訳。292ページ/1万5000ウォン

尹東柱(ユン・ドンジュ)詩集を読んで感動した日本朝日新聞の2年目の記者。彼は「いのち尽きる日まで天を仰ぎ 一点の恥じることもなきを、木の葉をふるわす風にも わたしは心いためた。」というユン・ドンジュ「序詩」の一節を人生の指針の一つとする。

人権担当記者で在日韓国人を取材し慰安婦問題に関心を持ち始めた彼は、「元慰安婦ハルモニが証言し始めた」という情報に接してソウルへ向かった。1991年8月11日付朝日新聞大阪本社版には「韓国挺身隊問題対策協議会がソウルに居住する元慰安婦から聴取作業を始めた」という内容の記事が載った。

そして3日後、この女性は'キム・ハクスン'という実名で記者会見を行って被害体験を証言した。「私の年が十六、日本人が無理に服を脱がせて上に上がってくるとすぐに私はその痛みに服が脱げているのも忘れてむくっと立ち上がりました。するとげんこつが打ち下ろされたせいでどれほど泣いたか…。」世界に日本軍慰安婦の実体が初めてあらわれた瞬間だった。

それ以前に「私は慰安婦だった」と名乗り出た人は一人もなかった。ハルモニらは痛い苦痛を抱えたまま隠れて過ごしていた。それから25年が過ぎた今。新米だった植村隆(ウエムラ・タカシ)記者は朝日新聞を辞め今年の初めから韓国カトリック大学で招へい教授在職中だ。

彼が書いた本「私は「捏造記者」ではない」には彼が慰安婦問題取材後、日本社会で体験した苦難がそっくり込められた。上村元記者は日本の学者、メディア、保守勢力などから'ねつ造記者'という批判を受けた。批判は執拗だったし、彼は何件かの慰安婦記事によって日本社会では生きられない状況に至った。

彼が神戸市のある女子大学に赴任するというニュースに2014年、日本の大型週刊誌'週刊文春'が「慰安婦ねつ造朝日新聞記者がお嬢さんたちの女子大学教授に」という記事を出して、該当大学に「上村を辞めさせろ」という抗議が激しくなり教授就任が挫折した。

右翼らはさらに彼の娘に対して攻撃を始めた。幼い女子学生だった娘の写真がオンラインを飛び交い、各種'身上暴露'が強行される。彼は自身が記事の何件かでこの様な苦難にあわなければならない事実にとまどう。そしてその過程を記録に残した。慰安婦に関する報道、関連団体取材だけで記者が生き残れない日本社会の醜悪な素顔がそっくりそのまま込められた。

キム・ユジン記者

ソース:マネートゥデイ(韓国語) '慰安婦'は禁忌語?日本社会の醜悪なミン顔
http://news.mt.co.kr/mtview.php?no=2016092815330829916

関連スレ:【レイバーネット】「慰安婦捏造」の汚名に事実で反撃~元朝日新聞記者・植村隆さん[10/01]
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1475329988/

引用元: 【書籍】 「慰安婦」は禁忌語?日本社会の醜悪な素顔~植村隆著『私は「捏造記者」ではない』、韓国で出版[10/01] [無断転載禁止]©2ch.net

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