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    タグ:福沢諭吉

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    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/10/07(水) 21:26:08.49 ID:???.net
    日本は2004年、紙幣の肖像画を変えた。しかし、ただ一人の人物それも1万円札の福沢諭吉の
    肖像画はそのまま残した。いったい、どんな人物なので福沢諭吉はそれほど尊敬されるのか。
    1835年生まれの彼は日本の維新、日本の開花期を導いた精神的大物だ。かつて、米国とヨーロ
    ッパを遊覧して帰ってきた日本がアジアに留まらずに世界列強に合流しなければなければならな
    いと主張し国民の啓蒙の先頭に立った。

    日本の名門、慶応大学も彼の手によって建てられ、この様な啓蒙思想を入れた彼の本は当時、3
    千万部以上売れる旋風を起こした。日本がアジアを脱するために朝鮮と中国を征服することも主
    張した。結局、彼の侵略的膨張主義は今日に至るまで日本の隠れた国家的基幹になっている。そ
    のため、紙幣の肖像画がみな変わっても彼の肖像画は今も1万円札に載っている。

    福沢諭吉がどれほど我が国を蔑視したのかは彼の本と言動で見ることができる。「こういう乞食た
    ちを相手に争ってはノミが移る恐れがある。」「朝鮮は一日もはやく滅亡する方が天の意思に符合
    するところだ。」

    しかし、日本にはこのような人物だけがいるのではない。遠くは壬辰倭乱の時、朝鮮侵略に出場し
    た沙也可(サヤカ)将軍がいる。実際に朝鮮の土を踏んだサヤカ将軍は私たちの文化と自然に魅
    せられて帰化を決め、朝廷からキム氏性を下賜されて名前も金忠善(キム・チュンソン)に改名し
    た。彼は当時、倭軍の強力な武器・鳥銃に対する技術を私たちに伝授したかと思えば、壬辰倭乱
    はもちろん北側国境守備に10年間努めて丙子胡乱の時には光州(クァンジュ)で功績をあげた。
    今も大邱(テグ)達城(タルソン)、嘉昌面(カチャンミョン)に彼を賛える洞書院がある。

    日帝植民時代には布施辰治の様な弁護士もいる。彼は検査職を投げて朝鮮人の独立運動を弁
    護する努力をした。結局、彼は自国の日本司法当局によって拘束されて実刑を受け、弁護士資格
    も停止された。韓国政府は2004年、彼の遺族に建国勲章愛国章を授けた。

    保坂祐二という日本人は15年も'独島総合研究所長'で独島(ドクト、日本名:竹島)が韓国の地で
    あることを主張し2002年には我が国に帰化した。日本国会議員(参議院)の中にも山本太郎議員
    はかつて、独島は韓国領土と主張し、去る9月18日、安倍政権の安保法強行に'自民党が死んだ
    日'というプラカードを掲げて沈黙の抗議を行った。

    臼杵敬子というハルモニは私たちの慰安婦犠牲者たちのために様々な面倒を見ながら、この頃も
    京畿道(キョンギド)広州(クァンジュ)にある'ナヌムの家'を訪れている。それだけでなく、彼女は日
    本総理が直接慰安婦ハルモニ一人一人全員を訪れて直接謝罪をすべきだと主張している。

    鳩山由紀夫元総理は去る8月、ソウルを訪問して西大門(ソデムン)刑務所殉国烈士追悼碑の前
    でひざまずいて日本植民支配を謝罪した。ビリー・ブラント元ドイツ総理がユダヤ人集団収容所を
    訪ねてひざまずいている姿が思い浮かぶ場面だった。特に彼は来月、ソウル大で特講をする予定
    で関心を引いている。

    悪いDNAを持った日本人、優しいDNAを持った日本人が共存する日本!しかし、明らかなのは
    相変らず1万円札の主人公は'征韓論'を主張した福沢諭吉という事実は記憶しなければならない
    だろう。その根元が今でも東京の町並みで反韓デモにトーンを高めている。

    ピョン・ピョンソプ元世宗(セジョン)市政務副市長
    no title


    ソース:イートゥデイ(韓国語) [ピョンピョンソプコラム]日本1万円券肖像画は話す
    http://www.etoday.co.kr/news/localnews/local_newsview.php?idxno=113824

    引用元: 【日韓】 日本の1万円札の肖像画・福沢諭吉は語る「乞食を相手にしたらノミが移る」~でも日本には鳩山由紀夫や山本太郎もいる[10/06]

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    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2015/04/04(土) 01:04:26.50 ID:???.net
    no title

    ▲イ・ソンミン世論読者部長

    「日本近代化の父'福沢諭吉は1885年3月、自身が発行する時事新報に後日'脱亜論'と呼ばれる
    論説を発表した。「我が国は隣国の開明を待って共にアジアを興す余裕はない。むしろその仲間
    を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那朝鮮に接する方法も隣国だからと特別の付き合
    いをする必要はない。我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり。」

    金玉均(キム・オクキュン)、朴泳孝(パク・ヨンヒョ)、兪吉濬(ユ・キルジュン)など朝鮮開明派を支
    援した福沢は朝鮮の開明を急進的に試みた甲申政変(1884年10月)が失敗した後、この文を書き
    ながら自分の心から朝鮮を消した。彼の晩年に刊行された回顧録には朝鮮開明派との交流事実
    が入っていない。彼の故郷、中津に建設された福沢記念館にも朝鮮開明派に対する言及はない。

    'アジアの悪友'を辞退しようとする動きは福沢の指摘により後えいらによって深く体系的に進めら
    れた。日本学者らは日本が封建社会を経て西洋と似た発展過程を歩んだのと違い中国と韓国は
    永く停滞したと主張し、その差を強調した。日本が英国・ドイツなどをモデルとして急速に西欧化を
    進める中、日本人の心は中国と朝鮮からより遠ざかった。20世紀前半、日本帝国主義の韓国と
    中国侵略過程で多くの被害が発生したが、どうしようもなかった事に置き換えられた。

    日本は今でも前世紀に自国が韓国と中国に及ぼした破壊的結果に関しほとんど言及しない。東
    京の靖国神社を訪問した時、衝撃的だったことは付設軍事博物館・遊就館で軍国主義を美化す
    る映像を公開しながら、最も大きな被害者であった韓国と中国について全く配慮がない点だった。

    日本帝国海軍のゆりかごだった江田島の海軍博物館と隣接都市、呉(クレ)の大和博物館を訪問
    した時も同じだった。清日戦争、露日戦争、中日戦争、太平洋戦争など東アジアを荒地にした戦
    争について、その不可避性と日本海軍の武功を誇るだけで隣接国に及ぼした被害には何の認識
    もなかった。

    しかし、もはや東アジアは福沢が'脱亜論'を発表した時代と大きく変わった。韓国と中国は日本に
    劣らない'開明'を成し遂げた。日本と共にアジアを繁栄させるに足る十分な力量を持っている。福
    沢もまた生き返ったらおそらく'脱亜論'を撤回するだろう。それでも日本は相変らず韓国を'悪い友
    人'と考えるように行動する。

    安倍総理は以前、「韓国は重要な隣国だが隣だから多様な問題を抱えている」と話した。だが、
    韓・日親善と東アジアの繁栄を望む人々は日本が韓国を'重要な隣国'を越えて'良き友人'と考える
    ことを願う。

    文芸春秋編集長出身の歴史著述家、半藤一利は「日本人は、かつて朝鮮人や中国人に与えた痛
    みをあまり感じていないようですが、人間は歴史を背負って生きていく。自然なつき合いのために
    も、知っておくべきことはあります。」と言った。

    安倍総理と日本国民はこの思慮深い知識人の声に耳を傾けて欲しい。

    ソース:朝鮮日報(韓国語) [太平路]日本は韓国をまだ'悪友'と考えるのか
    http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/04/02/2015040204144.html

    引用元: 【日韓】 日本はまだ韓国を「悪友」と考えるのか~福沢諭吉が生き返れば「脱亜論」を撤回するだろう/朝鮮日報オピニオン[04/03]

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    20140621_061: 雨宮◆3.yw7TdDMs 2014/06/21(土)01:22:06 ID:5hRGfSQJC
    福沢諭吉の「脱亜論」

    中韓の民度が低いというと「ヘイトスピーチだ」とかいう下らないコメントが来るので、
    今週の言論アリーナでもいった福沢諭吉の「脱亜論」を紹介しておこう。
    これは1885年に『時事新報』に書かれた無署名の社説で「脱亜」という言葉はなく、
    厳密には福沢が書いたかどうかわからないが、彼の主張と一致している。

    中韓の距離は日本より近く、どっちも改革を知らない。教育は儒教主義で外面の虚飾だけを重んじるが、
    実際には科学を知らないばかりか道徳も知らず、残酷で恥知らずで傲慢で反省もしない―
    これは今なら放送禁止の「ヘイトスピーチ」だが、彼の中韓への愛情が裏切られたことによる絶縁宣言だった。

    今の北朝鮮のような状態だった李氏朝鮮を清の支配から独立させて近代化しようという金玉均などの改革派は、
    福沢のもとに留学して日本の制度を学んだ。福沢もそれを支援したが、彼らの改革は清の袁世凱に弾圧されて挫折し、
    金はクーデタに失敗して殺される。福沢はこれに絶望して、中韓と縁を切るべきだと主張したのだ。

    これはのちの北一輝や大川周明が「アジアとの連帯」を重視したのとは対照的だ。
    北は国民党の宋教仁と連携して「東洋的共和制」を実現しようとしたが、宋は袁に暗殺され、軍閥の割拠する中国に日本は引きずり込まれてゆく。
    日本を大失敗に導いたのは福沢の脱亜論ではなく、「五族協和」を主張した超国家主義者だった。

    日本の外交も「東アジア共同体」のような幻想は抱かず、互いにわかりあえないことを理解し、
    福沢のように「隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ」
    と割り切って、対抗措置を取るべきときは取る常識的な外交をしたほうがいい。

    http://blogos.com/article/88820/

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