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    タグ:琉球新報

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    no title1: 動物園φ ★ 2017/01/22(日) 15:16:18.75 ID:CAP_USER
    アジアに示す態度

    誰もが歌える「幸せなら手をたたこう」は大学院生が作詞した曲だ。
    木村利人(りひと)さん。25歳だった1959年、フィリピンでYMCAのボランティア活動をした。
    現地の小学校に1カ月寝泊まりし、簡易トイレ作りに従事した

    ▼ある日、地元の青年に「日本人は○してやる」と言われた。戦争中、この地域では多くの住民が日本軍に虐○され、
    彼の父親も犠牲者だった。加害国の一人として心を痛めながら懸命に働き続けた頃、青年が言った。
    「お前を見ていて気持ちが変わった。過去を許そう。仲良くしよう」。固い握手を交わした

    ▼帰国する船中で、木村さんは現地の小学生たちが歌っていたスペイン民謡を思い出し、日本語の歌詞を付けた。
    戦争加害を知らなかった自身を恥じ、誠意ある態度を見せたことが相手の心を動かした。そこから「態度で示そうよ」の一節が生まれた

    ▼この歌はその後、YMCAの活動で広まる。5年後、偶然耳にした坂本九さんが歌って大ヒットした

    ▼こちらの態度の示し方はどうか。韓国・釜山に設置された日本軍「慰安婦」少女像を巡り、
    日本政府が駐韓大使を一時帰国させる強硬策に出た。日韓合意に反するとの言い分だ

    ▼人権を踏みにじられた側の心の傷はすぐには癒えない。加害国・日本は拳を振り上げたままでいいのか。
    アジアと仲直りするには態度の示し方が大事なのだが。

    http://ryukyushimpo.jp/column/entry-430223.html

    引用元: 【琉球新報】 加害国・日本は韓国に拳を振り上げたままでいいのか アジアと仲直りするには態度の示し方が大事だ

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    琉球新報ロゴ2(青)1: きう ★ 2017/01/01(日) 09:43:29.69 ID:CAP_USER9
    https://news.nifty.com/article/domestic/society/12182-shimpo420573/
    no title


     琉球新報の県民意識調査で「今後の日本における沖縄の立場」の質問を年代別に見ると、
    「現行通り」が半数を超えたのは20代と30代で、40代以上は全年代で半数以下だった。
    「単独州など」を支持した人は40代で最も多く23・7%、「連邦制」支持は50代が22・7%だった。
    「現行通り」は30代が最多で55・8%だった。
    40~60代の中年層で自立志向が強く、若年層と70代以上は「現行通り」「分からない」が多かった。

     同設問は、選択肢を2011年の前回から一部変更した。「現行通り」「独立」は変わらないが、前回15・3%だった「特別区(自治州など)」の項目を廃止し、
    新たに「単独州など」「連邦制」を設けた。

     米軍基地に関しては「縮小すべきだ」が最も多く40・5%(前回比0・9ポイント増)、「撤去すべきだ」が20・0%(同6・3ポイント減)だった。
    「維持」は14・2%(同3・2ポイント増)、「強化」は1・6%(同0・5ポイント増)だった。
    「縮小」「撤去」の合計は、年代別では70代以上が最も多く72・4%、20代が最も少なく38・7%だった。

     自衛隊基地は「現状規模のまま」45・5%(前回比4・0ポイント増)、「拡大すべきだ」7・3%(同1・9ポイント増)の合計が52・8%で初めて半数を超えた。
    「縮小すべきだ」は19・9%(同2・2ポイント減)、「撤去すべきだ」は7・4%(同1・8ポイント減)だった。
    「現状」「拡大」の合計を地域別に見ると、最も多いのは中部で66・2%だった。「拡大」が最も多いのは八重山で16・9%だった。

    引用元: 【沖縄県】「日本における沖縄の立場」 40代「単独州」 50代「連邦」 県民意識調査 [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2016/10/25(火) 19:38:50.58 ID:CAP_USER
    no title

    白 充さん(弁護士)

     国家権力による歴史的な差別意識が、機動隊の男性「個人」にまで内在化してしまっている。これまで「沖縄と日本」というレベルで存在していた対立が、県外の人と沖縄の人という個人レベルにまで現れていて、関係性が一線を越えてしまった印象を受ける。

     これまでもヘイトスピーチを行う市民らが「中国の手先」などと沖縄の人をやゆする出来事はあった。しかし今回は、明らかに公権力をバックに持って沖縄に来た機動隊員がそういった発言をしたことが大きな問題だ。

     問題の根底には「沖縄」が「中央」の圧倒的な力によって「消費」され続けているという構図がある。「中央」の側にいる機動隊員たちにしてみれば、反対運動をしている人たち全てが「土人」「シナ人」という感覚なのではないか。それは「日本人」の対義語というよりも、「尊重する必要のない人間」という意味の言葉だと思う。

     このままでは琉球処分、沖縄戦に続く「辺野古・高江」という三つ目の禍根が、本土と沖縄の人たちの間に残されることになるかもしれない。「中央」はあくまでも自己中心的で、相手(沖縄)のことを思いやる気持ちがない。他者の立場に立って問題をとらえようという姿勢や、そういった思いやりが失われつつある日本社会の現状が露呈した事件だ。

    http://ryukyushimpo.jp/news/entry-382251.html

    引用元: 【琉球新報】<機動隊 差別発言を問う>自己中心的な社会、露呈 白充さん(弁護士)[10/25] [無断転載禁止]©2ch.net

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    no title1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 ©2ch.net 2016/09/09(金) 02:43:59.32 ID:CAP_USER
     必死に逃げる朝鮮人とみられる男性を、大勢の日本人が取り囲み襲い掛かる。関東大震災(1923年)の数カ月後、体験の中で最も怖かったことを、日本人児童が描いた

    ▼「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火した」などのデマを信じた人々が、大勢の朝鮮人や中国人を○害した。「敵視」はデマを生み、他者を○しもする。歴史はそう教える

    ▼8月上旬、尖閣諸島周辺に中国の漁船や公船が多数押し寄せ、一部の領海侵入に外務省が抗議した。ネットでは、中国公船が「数百隻の漁船を引き連れ来襲した」、漁船に「海上民兵が乗っていた」との情報が流れた

    ▼中国通ジャーナリストの高野孟(はじめ)氏は、この情報は「デマ」と言う。禁漁期が終わり、日中漁業協定で漁が認められた水域へ一斉に出た中国漁船を、公船は、日本の主張する領海に入らないよう管理に当たった。領海侵入はその結果だと指摘する

    ▼事態を冷静に見る上で参考になる。日中首脳は5日の会談で、尖閣周辺の偶発的衝突を避ける仕組み作りを急ぐことで合意した。冷静な協議の糸口になってほしい

    ▼ただ日中双方の軍事強化は、冷静な協議に水を差す。南西諸島へのミサイル配備や最新機能の基地建設は中国には挑発に映りかねない。右手で銃を突き付けたまま、左手で握手を求めても、真の信頼関係は築けない。お互い「敵視」から脱したい。

    http://ryukyushimpo.jp/column/entry-352787.html

    引用元: 【琉球新報】「敵視」はデマを生み、他者を殺しもする 「井戸に毒を入れた」などのデマを信じた人々が朝鮮人や中国人を殺害した[9/09]©2ch.net

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    no title1: もろ禿HINE! ★@無断転載は禁止 2016/06/12(日) 13:49:22.67 ID:CAP_USER
    「朝鮮人強制連行」忘れない 読谷・恨之碑建立10年で慰霊 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
    http://ryukyushimpo.jp/news/entry-296465.html


     【読谷】沖縄戦時に日本軍によって朝鮮半島から強制連行された軍夫や「慰安婦」らを慰霊する「恨(ハン)之碑」の建立10年追悼会「恨を抱えて希望を語る」が11日、読谷村瀬名波で開かれた。追悼会に先立ち、太平洋戦争被害者補償推進協議会の李熙子(イヒジャ)共同代表(73)が講演し「これまでの道のりを無駄にしないためにも次世代への継承が大切だ」と呼び掛けた。関係者や地域住民、研究者ら約100人が参加した。

     追悼会では彫刻家の金城実さんが彫った恨之碑の前で、建立を呼び掛けた僧侶の知花昌一さんらが読経し、平和を願った。参列者が花を手向け、李さんや元軍夫の家族などが碑に酒をかけて犠牲者を悼んだ。

     韓国語の「恨」は日本語の「恨み」だけを意味せず、悲しみ、不満、怒り、後悔などが長い間、しこりとなった感情を意味する。

     建立時に中心的な役割を果たした牧師の平良修さんは、そういった感情を乗り越えようという意味も含まれていると解説し「痛みが一つのバネになり、苦しみがあって友達になろうとしているのが恨だ。ここにしか新しい平和の可能性はない」と訴えた。

     講演した李さんは韓国で、最も多くの人が強制連行された英陽(ヨンヤン)にも1999年に恨之碑が建てられ、読谷の碑と向かい合うように立っていることに触れ「碑がどのように造られたのか、次世代に伝えてくれますか」と問いかけた。

    ※注:李熙子共同代表の「熙」は「巳」の右が「臣」

    引用元: 【琉球新報】「朝鮮人強制連行」忘れない 読谷・恨之碑建立10年で慰霊[6/12] [無断転載禁止]©2ch.net

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