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    タグ:日帝

    1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2014/12/29(月) 23:46:43.05 ID:???.net
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    ▲撤去された旧朝鮮総督府建造物

    日帝の韓国強制併呑後、弾圧政治のために憲兵警察制度を導入してすべての韓国人の活動を
    制限した。会社令はその一つで経済活動を制限するため、朝鮮総督府が1910年12月29日公布
    し、朝鮮で会社を設立する場合、朝鮮総督府の許可を受けるよう規定した条例で、1920年3月31
    日まで存続した。

    韓国人の経済を統制し、日帝強制占領下の経済体制に再編するため取った措置として商工業分
    野での'会社令'は農業分野の'土地調査事業'と共に経済弾圧および収奪のための措置であった。

    朝鮮総督府制令13号として発表され、発表3日後の1911年1月1日から直ちに施行された。全
    文20条からなる会社令の主要な内容は

    第1条、会社の設立は朝鮮総督の許可を受けなければならない。
    第2条、朝鮮の他において設立した会社が朝鮮に本店または支店を設置しようとする時も朝鮮総
    督の許可を受けなければならない。
    第5条、会社が本令あるいは本令に基づいて発表される命令や許可の条件に違反したりまたは、
    公共の秩序、善良な風俗に反する行為をした時、朝鮮総督は事業の停止・禁止、支店の閉鎖ま
    たは会社の解散を命じることができる。

    上の内容のように、会社の設立過程で許可制度による統制はもちろん、運営過程で朝鮮総督府
    が決める基準にともなう公共の秩序および善良な風俗に違反する時には閉鎖すると規定しており、
    運営上も相当な統制が加えられていたと見ることができる。

    会社令の根本趣旨は韓国資本と企業の成長を抑制し韓国を原料供給地として活用し、日本商品
    市場として利用しようとすることだった。そうすることで、植民統治の効率性を高めようということだった。
    日本企業の韓国進出を許容し、国内に地点を置いた。韓国人の企業設立時には強力な統制をし
    て親日派が主流をなした。総督府への忠誠度、財力と信用度、収益性、発展の可能性などを緻密
    に調査して許可した。

    ソース:世宗(セジョン)ニュース(韓国語) [今日意訳社]日帝会社令の恐怖-12月29日
    http://www.sjenews.com/news/articleView.html?idxno=7363

    引用元: 【韓国】 日帝会社令の恐怖~経済弾圧および収奪のための条例/今日の歴史[12/29]

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    1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2014/12/25(木) 15:40:24.38 ID:???.net
    本『ニュートンの無情な世界』

    チョン・インギョン著

    出版:トルペゲ、280ページ

    価格:1万4000ウォン

    「朝鮮の人に何よりもまず科学を与えなければならない。知識を与えなければならない」。イ・グァンスの『無情』(1918)に出てくる
    開化論者ヒョンシクの誓いだ。植民地朝鮮の多くの知識人は、抑圧的な帝国主義と封建の残滓のもとで疲弊した民衆の人生を救う
    方法を科学に求めた。西洋の圧倒的な軍事力に清がひざまずくのを見て、朝鮮人は科学の恐ろしさを痛感した。

    だが当時、朝鮮の地に住んでいた誰も科学がいったい何なのか知らなかったために、それが朝鮮人のジレンマだった。科学は西欧
    がアジアを侵略する過程で強制的に移植されたが、一気に文明を開花させる妙薬にはなれなかった。科学はそのように朝鮮人との
    初めての出会いからゆがんだものだった。

    帝国主義の収奪が最高潮に達した1910年代を、西洋人は「ベル・エポック(良い時代)」と呼ぶ。私たちにとってその時代は暗鬱
    だった日帝統治下に入る地獄の戸口だった。だから当初から科学を眺めている西洋と私たちの間には、渡ることのできない深い
    谷間が存在していた。

    『ニュートンの無情な世界』は、私たちの視点から科学史を再構成する。ニュートン・ダーウィン・エジソン・アインシュタインなど西洋
    の近代科学で革命的な発展を成し遂げた人物の成功と、近代韓国の風景を重ねる。イ・グァンス、ヨム・サンソプ、パク・テウォン、
    イ・サンら当時の日帝統治下で耐えた知識人が、西洋文明を眺めながら抱いた自己恥辱感の入り混じった告白は切々としている。
    これと共に、西洋の近代科学が成し遂げた主な成功がどんな背景から出たものなのかも細やかに解き明かしていく。

    著者は「科学は空から落ちてきたものではなく、欧州の歴史と社会の中から生産された知識」と話す。著者は「日の沈まない帝国」
    を建設するために中枢的な役割を果たした西欧科学の文明は、きちんきちんと積み上げられた土台の上で可能だったという事実
    を細かく論証する。数学の実力は思わしくなかったが同僚科学者の支援で電磁気場を発見したファラデーや、米国産業の発展を
    背負ったエジソンの成功談は、科学の発展がインフラにどれほど大きく依存しているのかを物語る。

    日本の科学の発展も、西欧の後を追っていち早く固めた土壌の上で可能だった。アジア帝国を熱望した日本は、軍需産業の発展
    のために科学研究に拍車を加えた。人的ネットワークが不足していたためにアインシュタイン・ボーア・ハイゼンベルクなど当代最高
    の科学者を日本に招いた。同時に数多くの若い科学者を世界の有数の研究機関に送った。このような努力は1949年に湯川秀樹
    が日本で初めてノーベル物理学賞を受賞する成果としてあらわれた。

    一方、科学文明を夢見た日帝の朝鮮人らの努力は凄惨に踏みにじられた。日帝は朝鮮人の科学技術教育と高等教育を徹底的に
    押さえ込んだ。日帝時代に科学教育に努めたキム・ヨングァンは日帝の弾圧の中で獄中生活を経験した後、寂しい余生を送った。
    1946年、日本物理学会創立当時の登録会員数は2293人である一方、解放前に物理学論文を発表した朝鮮人は4人に過ぎな
    かった。科学は少なくとも朝鮮人にとっては、無情な存在だった。

    ソース:中央日報 2014年12月25日14時20分
    http://japanese.joins.com/article/504/194504.html?servcode=400&sectcode=440
    本『ニュートンの無情な世界』
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    引用元: 【韓国】日帝が朝鮮人の科学教育を妨げた理由は[12/25]

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    no title1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2014/10/30(木) 21:33:21.97 ID:???.net
    韓国文化のアイデンティティの求心点とも言える国立中央博物館が久しぶりに勇気ある企画展を催した。28日、ソウル西氷庫路(ソビンゴロ)
    の常設展示館1階特別展示室で始まった「東洋を収集する-日帝強制占領期間のアジア文化財の収集と展示」だ。

    題名自体が含蓄的な情報を含んでいる。1909年11月、韓国初の博物館として昌慶宮(チャンギョングン)に開館した皇室博物館から、
    45年の解放を迎える時まで李王家博物館(美術館)、朝鮮総督府博物館などに変貌し、日帝の好みと意図に沿って収集された遺物をつぶさに
    見てみようという意味だ。日帝がこの博物館遺物展示を通して朝鮮の歴史を日本の手法で過去化させようとした真意を探ろうというものだ。

    「なぜ今なのか」という残念な気持ちを抱いて入った展示場は大きく4つの分野に分かれており、100年近く密封されていた植民地時代の文化遺産
    200点余りを展示している。東アジアの古代、西域美術、仏教彫刻、日本近代美術だ。地域や主題で分類している。展示を担当した国立中央博物館
    アジア部の苦悩がにじみ出ている地味な構成だ。

    日本近代美術はすでに2002年に一度公開されたことがある。日帝は韓半島(朝鮮半島)から日本に文明を伝えた渡来人の意味を縮小し、
    両国の共通点を強調するために活用した漢の国など古代美術コレクションを前に出したが、今回出された遺物だけでは説得力は弱かった。

    日帝が文化統治のための代表資料として活用したという西域美術コーナーや、石窟庵(ソックラム)などと同時代に製作されたものとして編年を記録
    して韓日仏教彫刻の類似性を強調したという仏教美術ショーケースも光を失った。

    敏感ながらも思慮深さが必要とされる問題意識を十分に解き明すには時間が不足していたのだろうか。高麗(コリョ)大学大学院のイ・グァンピョ氏は、
    最近発表した論文『近現代古美術コレクションの特性と韓国美の再認識』で、日帝強制占領期間の博物館について「植民地侵略政策の一環として登場
    した点、初めから行政力を通じて進められた点で限界がある」と指摘した。一言で「文化侵奪」だったということだ。

    ソウル大奎章閣韓国学研究院客員研究員のモク・スヒョン氏も論文『日帝下の李王家博物館の植民地的性格』で「日帝文化統治は1919年の3・1
    独立運動以降だとされている。しかし、李王家博物館設立の性格からして、古跡調査事業が1902年に始まったことを念頭に置くならばすでに併合前
    から文化を通じた統治が始まっていたとみなければならない」と分析した。

    だが、展示場で観覧客がこのような脈絡を読み取るのははかなり難しい。立場は曖昧で、遺物配置は筋道を捉えにくい。何かを伝えたいという学芸
    研究員の奇想は良かったが、現場に実現させた結果はどちらにも取れるようなものだった。

    ただ一つ、気付かされたことはある。日帝が企画した帝国主義的野心に動員されたものの、韓国も文化財略奪の被害者であり加害者だったという
    歴史的事実だ。

    同展示は来年1月11日まで開催される。来月14日には国立中央博物館大講堂で今回の展示を主題にした国際学術大会も予定されている。

    ソース:中央日報 2014年10月29日17時20分
    http://japanese.joins.com/article/023/192023.html

    引用元: 【韓国】日帝が「侵奪」した文化遺産展示、朝鮮の歴史を過去化させようとした真意を探る[10/30]

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    韓国国旗1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2014/10/04(土) 12:06:15.04 ID:???.net
    「ソ・ジュンソクの現代史の話」<66>韓日協定、四回目広場

    根が深い木は容易に風に揺れないものだ。社会全般の雰囲気は言うまでもなく、いわゆる進歩勢
    力の中でも軽薄な議論があふれるこの時代に歴史を深く理解することが切実に求められる。この
    ような考えで「ソ・ジュンソクの現代史の話」を続けている。ソ・ジュンソク歴史問題研究所理事長は
    韓国現代史研究を象徴する人物に選ばれる。毎月、ソ理事長を訪ね韓国現代史に関する考えを
    聞いて読者と共有しようと思う。八回目の主題は韓日協定だ。<編集者>
    (中略:朴正煕―池田勇人会談など)

    プレシアン: 朴正煕(パク・テョンヒ)議長が「私たちの請求権は戦争賠償ではないことを確認する」
    としたのも論議の的だ。

    ソ・ジュンソク:賠償請求権問題についても軍事政権が様々なことを十分考慮したかという問題を
    考える必要がある。賠償と関連してサンフランシスコ講和条約がよく言われる。ところがこの条約
    を締結する時、フィリピン、インドネシア、ミャンマー(ビルマ)、ベトナムがみな招待を受けた。もちろ
    んこれらの国が米国、オランダ、英国、フランスの植民地でありながら日本と戦ったことはある。

    それでも、韓国が1910年から1945年まで独立軍活動や独立運動で日帝と戦ったことと、これらの
    国々が少しの間、戦ったことは比較にならないではないか。それでも韓国は招待を受けることもで
    きなかった。(中国と北朝鮮も招待されなかった。対日講和条約はこのように日帝侵略の最大被害
    者であり最も激烈に対立して戦った国々を排除したまま締結された。<編集者>)このような点を考
    えなければならない。

    もう一つ、賠償と関連して多くの韓国人によく分からない問題がある。サンフランシスコ講和条約
    で最も直接的積極的に韓国の参加を防いだのは日本だ。ところが日本はどういう理由で防いだの
    か、これをよく知らなければならない。2001年、日本のテレビ朝日が報道したものだが、その報道
    によればジョン・フォスター・ダレス米国国務部特別顧問、後に米国国務部長官になる人だが、こ
    の人はサンフランシスコ講和条約の草案担当特使だった。この人の草案には韓国を対日戦勝国
    と明記していた。ところがこの人が吉田茂総理に説得され韓国が調印国に参加できなくなった。

    吉田茂総理は非常に強く反対した。吉田茂は韓国が調印国に参加してはならない理由を文書で
    提示したが、このようになっている。「韓国は日本と戦争状態になかったため、聨合国の一員と認
    定できない。」これはフィリピン、インドネシアなどについても同じように言えることだ。(吉田茂の論
    理のとおりなら、フィリピン、インドネシアなども韓国と同じように排除すべきだったが、そうはしな
    かった。<編集者>)そして韓国の独立軍は日本とずっと戦っていたではないか。これをどう見るかと
    いう問題だったが、日本側はそう主張して韓国の参加を防いだ。

    さらに大きな理由はまさにその後に出てくる。「韓国が調印国になれば韓国人が聨合国と同等な
    財産請求権と賠償金を主張するだろう。在日韓国人は100万人にもなるが、この人々が証明でき
    ない過度な賠償請求をする場合、日本は混乱を避けられない」、こういう話をする。(さらに吉田茂
    は日本にいる韓国人が大部分、共産主義者と主張した。事実と無関係に米国が拒否感を示す話
    だ。吉田茂とダレスは1951年4月23日、韓国をサンフランシスコ講和条約から排除するという内
    容の覚書を締結した。<編集者>)
    (中略)

    日帝35年支配に対抗しても、賠償を一銭も受けられなかった韓国
    プレシアン:日本に35年間踏みにじられたうえ、1951年には日本とアメリカの八百長にまたひどく
    被害をうけたわけだ。場合が違うが、1905年の桂-タフト密約(日本は米国のフィリピン支配を、米
    国は日本の韓国支配を認めるという密約)を思い出させる。

    ソ・ジュンソク:韓国と中国は他のどこの国よりも賠償を強く要求できる国だ。ところがパク・テョンヒ
    軍事政府はとてもはやく賠償問題をあきらめ、請求権交渉に入ったばかりか、請求権交渉さえす
    ぐに金額問題に入ってしまう。'良い条件にしてくれれば良い'という姿勢だ。
    (後略)

    ソース:プレシアン(韓国語) 踏みにじられた韓国、日本・米国八百長にまた当てられた
    http://www.pressian.com/news/article.html?no=120624

    引用元: 【日韓】 日帝と最も激烈に戦った韓国、サンフランシスコ講和条約に招かれなかったのは日本が反対したから[10/04]

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    no title1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2014/07/06(日) 19:45:05.09 ID:???.net

    「日帝の中国侵略蛮行を決して忘れないでおこう。」
    ▲北京、蘆溝橋近隣にある中国人民抗日戦争記念館に、ある兵士が「中国と韓国両民族が力を
    合わせて日本を強力に打倒しよう。朝鮮義勇軍」と文を書く写真が展示され人目を引いた。

    7日は中・日戦争が本格化した‘蘆溝橋事変日’と日帝侵略に対抗して抗日戦争を宣言した‘7・7
    中国人民全面抗戦記念日’77周年だ。中国では‘抗日精神を育てよう’と民族主義が熱く燃え上
    がっている。

    6日、訪れた北京、蘆溝橋近隣の中国人民抗日戦争記念館でも熱気がそのまま伝わった。学校と
    機関の団体客が人だかりになっていた。展示面積だけ6000平方メートルに達する記念館は日帝
    が1931年9・18事変を契機に中国を侵略し1945年投降するまで中国全域で日常的に行った蛮
    行とこれに抵抗した中国人の抗日闘争史を見せる場所だ。蘆溝橋事件50周年を記念して1987
    年建設された後、愛国主義を鼓吹する教育機関の位置を占めた。

    中国指導部も7日、こちらに総出動する。習近平国家主席や李克強総理などが参加すると発表さ
    れた。中国メディアはこの行事を同時生放送する予定だ。領土・歴史紛争中である日本を狙ったも
    のだ。指導部は日帝侵略の歴史を忘れないようにしようというメッセージを出すものと見られる。

    中国は日本の集団的自衛権行使容認決定などで見る時、日本が戦争以前の状況に戻ろうとして
    いるとし歴史と現実政治を結びつけて全面的な対日攻勢をかけている。記念館には日帝蛮行を
    記録した写真650枚余りと資料800点余りが陳列されている。真裸になった子供たちの死体の山、
    内蔵が外に飛び出して死んでいる女性の死体など惨状を生生しく記録した写真は反日感情をか
    もし出すのに充分だ。

    民間人を細菌実験に利用し、子供たちを銃弾避けに立てたり婦女子らを慰安婦に強制動員した
    内容も告発している。北京第一中学で団体見学を来たある女子学生(13)は「日帝の中国侵略蛮
    行はとても悪どかった」として「このように確実な証拠をめぐっても、侵略蛮行を否認する日本政府
    の姿に怒りを感じる」とトーンを高めた。

    1937年以後、8年間で中国人3500万人が死んだりケガをした。財産被害も5000億ドルに達した。
    特に韓国と中国が日本に対抗して共に戦った歴史を目立たせる展示も目を引いた。韓国人チョ
    ン・ウルソン先生の名前と彼が作った中国軍の公式軍歌‘八路軍行進曲’の楽譜造形物が印象的
    だ。ある兵士が「中国と韓国両民族が力を合わせて日本を強力に打倒しよう。朝鮮義勇軍」と文を
    書く写真が‘国際友好’というタイトルと共に展示され多くの人々の注目をあびた。

    習近平主席は去る3日の訪韓時、朴槿恵(パク・クネ)大統領との首脳会談で「来年は世界反ファ
    シスト戦争勝利と中国の抗日戦争勝利および韓半島の光復(解放)70周年」とし、共同記念行事
    を提案し、パク大統領も「韓国でも意味ある行事を準備している」と肯定的な返事を返した。
    (後略)

    文と写真:北京チュ・ヒョンジン特派員

    ソース:ソウル新聞(韓国語) 死体の山そば「中国と韓国、力合わせ日帝打倒しよう」写真注目
    http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20140707012002&spage=1

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