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    タグ:両班

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    韓国国旗
    1: ねこ名無し ★ 2017/05/09(火) 18:42:50.97 ID:CAP_USER
     日韓関係は緊張の度を増している。近くて遠い国、韓国を理解するためのキーワードを9つ紹介しよう。

    【1】儒教や中華思想

     紀元前、孔子が体系化した儒教は、いわゆる「四書五経」を重要な経典とする。儒教には上下関係の秩序を重んじる考え方があり、“中国が世界の中心である”と考える中華思想とあいまって、「中国が最も優れていて、隣国である韓国がそれに続き、より辺境に位置する日本は野蛮だ」という“上下関係”の考えが広がった。

    【2】恨(ハン)の思想

     韓国人特有の思想様式の一つとされる。日本語の「恨み」の意味だけではなく、自らが憧れる(あるいは、あるべきと考える)姿になれないという無念さや嫉妬、そうした状況を解消したいという願望などを含む感情を指す。

    【3】三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼

     李氏朝鮮では、中国の勅使をこの方法で迎えた。跪き、額を3回地面につけて礼をしたあと起立する動作を3度繰り返す。

    【4】捧げ物の中には「女性」

     高麗時代後期から李氏朝鮮時代には、多くの女性を中国に貢いだ。貢女(コンニョ)と呼ばれる。娘が貢女の候補になった際には、娘の顔に傷をつけたり出家させたりして連行されるのを避けようとした親もいた。

    【5】事大主義

    「大に事(つか)える」こと、すなわち、強い国や強い勢力に従うことを指す。小国が生き残るための知恵とも考えられるが、〈はっきりした自分の主義、定見がなく、ただ勢力の強いものにつき従っていく〉(日本国語大辞典)から、時に外交などにおいて政策が一貫しないことがある。

    【6】両班(ヤンバン)

     李氏朝鮮時代は、「両班」「中人」「常人」「賤民」という差別的な身分制度があった。両班は特権的な支配階級で、官僚機構を作った。また両班は労働を蔑視し、「箸、本より重い物は持たない」とも言われた。

    【7】コムド

     剣道に似た防具を使うスポーツ。日本の剣道の起源はコムドであると主張する韓国のコムド団体は多い。しかし、日本の剣道団体はそれを否定する見解を発表。「剣道は武士の生活の中から生まれた日本独特の文化である」とされる。実際に、剣道で着用する袴は江戸時代にできたもので、侍の精神性を形にした腰板がつけられている。

    【8】アトランタの慰安婦像

     米ジョージア州アトランタにある公民権・人権センターの敷地内に慰安婦像を設置する計画が進められていた。しかし、現地の日本人らが働きかけ、この3月、同センターは慰安婦像設置を許可しないことを決定した。

    【9】抗日連合会

     正式名称は「世界抗日戦争史実維護連合会」。中国系アメリカ人の活動家らによって設立され、中国共産党とのつながりが深い。07年、米下院の慰安婦問題決議採択で、中心的な役割を果たした。

    ※SAPIO2017年6月号

    http://www.news-postseven.com/archives/20170509_530337.html

    引用元: 【解説】近くて遠い国、韓国を理解するキーワード 恨の思想、事大主義、捧げ物に女性、両班、慰安婦像[5/09]

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    20140907_1817001: すらいむ ★@\(^o^)/ 2014/09/07(日) 16:53:36.89 ID:???.net
    なぜ韓国人は皆「両班の子孫」なのか
    【新刊】朴洪甲(パク・ホンガプ)著『韓国の姓氏と族譜の物語』(山のように社)

     徳水李氏の忠武公・李舜臣(イ・スンシン)は漢陽(現在のソウル)の乾川洞で生まれた。地方の職に
    就いた期間を除き、ずっと漢陽や忠清道牙山で暮らしていた。開城の南にある京畿道徳水で暮らしたとか、
    徳水に戻ったという記録はない。それでも、李舜臣は徳水李氏なのだ。栗谷・李珥(イ・イ)も同じく
    「徳水李氏」だが、生まれたのは母親(申師任堂〈シン・サイムダン〉)の実家がある江陵で、暮らした
    場所も主に漢陽や京畿道坡州だった。徳水は朝鮮王朝の太祖代に海豊郡へと編入され、後に豊徳郡へ
    統合された。郡名は消えても徳水という本貫は変わらない。

     本貫はかつて先祖が暮らしていた本拠地で、本貫が同じなら、血を分けた血族集団の一員と見なせる。
    慶尚道出身の羅州丁氏、全羅道出身の金海金氏も、本貫を変えていない。今でも強く残っている家柄意識の
    せいだ。それは「偽りの意識」でもあり得るが、現在の厳しい暮らしに耐える自尊心のよりどころとも
    なっている。

     本貫は、自分が両班(ヤンバン=朝鮮王朝時代の貴族階級)だという意識を持つ手段になる。中国には
    先祖が豆腐職人だったという人もいるが、韓国人はほとんど全てが有名人の子孫だということを誇っている。
    朝鮮王朝後期、特定の家系をまるごと誰かの子孫にすり替えて族譜を作ることが多かった。茶山テョン・
    ヤギョンはこうした風土を、父や祖父をすり替える「換父易祖」と嘆いた。それでも姓まで変えるケースは
    まれだった。韓国語で、潔白を主張したり念を押したりするときに「いっそ姓を変えたい」と言うのは、
    「本貫」はともかく「姓」は変えなかった、という意味だといえるだろう。

     姓氏が本格的に使用され始めたのは、新羅末期から高麗初期にかけてと推定されている。少なくとも
    7世紀以前には、姓は存在しなかった。6世紀に建立された真興王巡狩碑には多くの随行者の名前が
    刻まれているが、姓を使っている例は見られない。国史編さん委員会の研究編さん室長を務めた著者は、
    従来の研究成果を挙げ、新羅建国当時から存在していたといわれる朴・石・金の3姓氏もまた、後の
    時代にさかのぼって付けられたものと考えている。本貫は、高麗初期の10世紀半ば以降に現れた。
    そもそも本貫は、地域ごとに税金を賦課するといった政策実現のための道具だった。

     族譜の複雑な形態などを解説する前半第1部の説明が煩わしい読者は、第2部から読んでもよい。
    姓氏と族譜を通じ、韓国の歴史や社会の奥深くに存在する底流を振り返った一冊。408ページ、
    2万5000ウォン(約2560円)。

    李漢洙(イ・ハンス)記者

    朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2014/09/07 07:03
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/06/2014090600948.html

    引用元: 【朝鮮日報】なぜ韓国人は皆「両班の子孫」なのか[09/07]

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