20140511_081: Hi everyone! ★@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 10:31:14.18 ID:???.net
ソース(Yahoo・朝鮮日報) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140511-00000263-chosun-kr

 サムスン・グループの故・李秉喆(イ・ビョンチョル)元会長が定めたサムスンの社是の一つに「合理性の追求」がある。あまりにも
当然のこと故に、世界の企業でこのような社是を定めるところなどないだろう。つまり、韓国社会ではそれだけ非合理が横行している
ことを意味する。それは今なお何ら変わりがない。合理性とは重力のようなもので、たとえ時間がかかることがあっても必ず実現する
真理だ。船の構造を変え、軽々しく過積載をすれば、一時的にはたくさんの金を稼ぐことができる。しかし今回、船を転覆させた物理
法則は、最終的にこれらの非合理に報いを与えた。合理性の実現は、時にこのように残酷なものだ。

 旅客船「セウォル号」が沈没する前に、もし乗務員の誰かが「船の上部をむやみに増築すると危険だ」「貨物の積み方があまりにも
ずさんだ」などと指摘したら、清海鎮海運はおそらく「大丈夫だ。どうせ何も起こらない」「あいつは1人でいい格好している」などとして
相手にしなかっただろう。海洋水産部(省に相当、以下同じ)や船舶の安全検査を行う韓国船級協会もおそらく同じだ。そのため、
一時的には非合理が勝るように見えたが、最終的にはやはり合理性が貫かれた。それも悲惨な転覆事故という形でだ。

 合理性は時に、その場にいる人の感情や雰囲気に反することが多い。しかし、時間がたつと「あのときこうしておくべきだった」と
考えるのは、それが合理的だからだ。セウォル号沈没事故では被害者の側であるはずの檀園高校の教師たちがひざまずいて謝罪し、
その後教頭が自殺したが、これは決して合理的なことではない。また、政府が意図的に救助に乗り出していないとする主張や、単なる
非難のための非難も決して合理的なものではない。悲しくない人間などいないし、救助したくない人間もいないからだ。

 今も行方不明となっている生徒の母親がある日、ほかの家族に「私たち、もう少し我慢しよう」と呼び掛けた。すると誰かから悪口を
言われたという。もし誰かが私に「もしあなたに同じような災難が降りかかったら、合理的に行動できるか」と尋ねたら「合理的に行動
できる」と断言する自信はない。つまり、場合によっては合理的に行動することには大きな苦痛が伴うことがある。しかし、だからと
いって非合理に支配されてしまうと、誰にとっても良くないことは明らかだ。合理性に背を向け、時間が過ぎた後に残るのは、ただ後悔
しかない。

 今も韓国国内では、満員で立ってもいられないような路線バスが時速100キロの猛スピードで市内を疾走している。高速道路を走る
とき、乗用車の後部座席で安全ベルトを締めないケースは珍しくない。ある日タクシーに乗ると、ドライバーはモニターに映るテレビの
ニュースを見ながら運転し「あれだけ安全ルールを無視していたのだから話にならない」と嘆いていたが、自分が何をしているのかは
まったく気づいていない。

 セウォル号が沈没してから4日後、アシアナ航空の旅客機で、飛行中にエンジンの故障を知らせる警告ランプが点灯した。ところが
この旅客機を操縦していた韓国人パイロットは、ルールを無視して緊急着陸せず、目的地までのフライトを強行した。そのパイロットも
セウォル号沈没のニュースを見たときには、乗客を見殺しにした船長を激しく非難したことだろう。もしこの旅客機が別の空港に緊急
着陸していたらどうなっていただろうか。おそらく乗客は損害賠償を求めて抗議していたはずだし、実際にそうなったケースもよく耳に
する。管轄する政府部処(省庁)の関係者はこのような危険な行動が常態化している業界と癒着し、汚職に手を染め自らの腹を
満たしているはずだ。このように今もさまざまな方面で非合理は合理に勝っている。このままの状態でいつか合理が突然、誰も予想
しない形で実現したときに、われわれはまた激しく泣き叫ぶことだろう。

>>2以降に続く)

2: Hi everyone! ★@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 10:31:35.23 ID:???.net
>>1の続き)

 セウォル号沈没事故が発生したその日、私は近く内閣改造が行われるだろうと予想していたが、やはりそれは実現しそうだ。今回の
事故を管轄する安全行政部と海洋水産部は、いずれも長官が就任してから2カ月もたっていない。事故が起こったことで経験したこと、
感じたこと、得た知識など全てを無駄にし、新しい人間を長官に就任させて何をしようというのだろうか。もし今回、海洋水産部の長官
が本当に交代すれば、ここ17年で20人目になる。この愚かな習慣的人事も、セウォル号が沈没したもう一つの原因ではないだろうか。
これは間違いなく非合理的だが、それでも誰もがこれを実行するよう求めている。ほかの閣僚もようやく業務の内容を把握したばかり
のはずなのに、近く全員が交代しそうな気配さえある。しかし、新しい閣僚がまた1年かけて業務を把握するころには、また「業務の刷新」
などワケの分からない理由で交代させられるのではないか。閣僚の下で働く官僚たちは、新しい長官を「適当に」あしらい、時間さえ
つぶせば誰も文句を言わないことをよく分かっている。

 2011年8月に英国でいわゆる「イギリス暴動」が発生し、各地の主要都市で放火や略奪が相次いだ。わずか数人の暴徒が起こした
行動が、一般の善良な市民が経営する商店の略奪にまで事態が拡大した。その理由は、現地の警察が断固とした対応を取らなかった
からだ。この警察のずさんな対応が原因となり、わずかな暴徒の行動で火が付いた暴動は5日も続いた。アフリカ諸国では「英国に
人道支援を行う準備ができている」と皮肉めいた声まで聞かれた。

 このように国家的な規模でメンツをつぶすような事態が発生しても、英国議会では警察による対応の遅れや、消防官による非効率的
な対処を非難する声は、与党はもちろん、野党からも出なかった。それどころか野党のある議員は、警察と消防官の苦労をねぎらった。
内閣改造を求める声も出なかった。彼らの頭の中では合理性が非合理的な感情に勝っていたのだ。その後、彼らは今回の事態を
教訓に、今後の対応について落ち着いて検討した。おそらく今後、英国で同じような事態は決して起こらないだろう。このような対応が
取れるからこそ、先進国と言われるのではないだろうか。キム・ヒョンオ元国会議長は「人間を変えるだけでは何も解決しない。
人間が変わらなければならない」と指摘した。

 悪口を言われた上記の、行方不明者の母親はしゃがれた声で「そうよ。私はおかしいの。娘は今も海に沈んでいる。それでも我慢
しなければならない」と呼び掛けた。直後に別の行方不明者の父親も、海洋警察官たちの方を向きながら「あの方たちにはあすも
苦労してもらわなければならない。『ご苦労さま』『ありがとう』と声をかけよう。私たちからまずは考え方を変えよう」と訴えた。これを見て、
私は「韓国にも希望はある」と感じた。

(終わり)

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