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    no title1: 動物園φ ★@\(^o^)/ 2014/05/06(火) 00:57:41.78 ID:???.net
    セウォル号沈没、乳幼児乗船の可能性も

     韓国の旅客船セウォル号沈没事故で、複数の韓国メディアは5日、韓国政府が乗船を確認したと
    発表した476人以外に乳幼児が乗っていた可能性があると報じた。韓国政府は確認できていない
    としている。

     韓国メディアは、潜水士が4月21日の捜索で沈没船の船尾付近で哺乳瓶を見たと証言したと
    報じた。2歳未満の乳幼児は乗船券が必要なく、乗っていても乗客名簿に名前がないという。(共同)

     [2014年5月6日0時33分]

    http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20140506-1296463.html


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    20140506_011: 豆狸◆JFtbiBEswo9k 2014/05/05(月)21:58:27 ID:rZAFsclKl
    【中国】ナイキCEO、中国から生産移転を示唆

     米スポーツ用品大手、ナイキのマーク・パーカー最高経営責任者(CEO)が、スポーツ・シューズのOEM(相
    手先ブランドによる生産)先である台湾宝成工業傘下の香港上場、裕元工業(集団)の広東省東莞市の工場で起きた
    労使紛争を理由に、中国からの生産移転の検討を始めたと述べたことが分かった。具体的な移転先には触れていない。
    騰訊財経が外電を引用し4日伝えた。

     今年3月から米IBM、韓国サムスン電子、フィンランドの通信機器大手ノキアなどの中国工場で相次ぎ労使紛争
    が起きている。紛争が起きた主要企業の中で、生産移転に言及したのはナイキが初めてとみられる。
     裕元工業では4月5日から、社会保険料の納付などをめぐる労資紛争が起き、従業員多数がストライキなどを行っ
    た。裕元工業はナイキやドイツのスポーツ用品メーカー、アディダスなど国際ブランドのOEM先。会社側が一部の
    要求に応じたため、従業員の大部分は職場復帰した。中国広播網によると、参加した従業員は4万人、ストライキに
    よる生産停止は10日間を超え、損失は1,000万米ドル(約10億2,200万円)を上回るという。
     パーカーCEOは、ボストンカレッジCEOクラブの昼食会で「大規模なストにも関わらず、発注先をただちに他
    国に移すことはしなかった。しかし、事態の推移を注意深く見守った上、中国からの生産移転に踏み切ることもある」
    と語った。裕元工業のIR担当者は「顧客は中国の生産能力に信頼を寄せている。現在の状況はどうあれ、長期的に
    見れば問題はない」と話している。  <広東>

    ヤフーニュースビジネス(NNA) 2014.5.5 8:30
    http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140505-00000001-nna_kyodo-nb


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    20140505_251: トラネコ◆EDwr815iMY 2014/05/05(月)20:44:19 ID:QqYF9nzBp
    ニッポン隠れ里奇譚「津山三十人殺し」が起きた岡山県貝尾集落を訪ねて
    2014年05月05日
    貝尾の集落では、今から七十七年前の昭和十三(一九三八)年五月二十一日未明の闇の中、村に住む二十二歳の若者が、日本刀と猟銃を駆使して、村の半分近くの家を襲撃。村人の三分の一以上にあたる三十人を一時間半ほどの間に殺害する"津山三十人殺し"が発生したのだ(死者のうち二人は隣村の住人)。
     犯人の名前は都井睦雄といい、犯行直後、近くの山に逃れ、山頂で猟銃自殺を遂げた。睦雄の出で立ちは、黒襟詰の学生服風で、足元はゲートル(脚絆)で固めていた。右手に日本刀、左手に自分で改造した特殊猟銃を持ち、頭にはハチマキを締め、額の両側にナショナルの懐中電灯を固定していた。
     そう、横溝正史の金田一耕助シリーズの『八つ墓村』に登場する大量殺人犯の格好にそっくりなのである。
     実際、横溝正史は"津山三十人殺し"をヒントに、『八つ墓村』を書き上げたと言われる。正史は太平洋戦争中、岡山に疎開していたからだ。
     犯行の動機や経緯については、犯人が自殺してしまったこと、そして戦争中ということもあって、謎が多い。しかし、睦雄の残した三通の遺書などから、村に残る"夜這い"や"姦通"の習慣が、少なからぬ影響を与えたのではないかと言われている。たしかに睦雄は、村の中の十代から四十代までの十人余の女たちと性的な関係を持っていたといわれており、事件の被害者の多くは、睦雄と関係した女たちと、その係累だったからだ。
    事件のあった貝尾の場所だが、岡山県の旧:加茂町(現:津山市に編入)の山裾にある。加茂町は、周囲を中国山地の連山に囲まれた広大な盆地にあって、貝尾はその南西端、天狗寺山の麓にあった。天狗寺山は睦雄がひそかに射撃練習をしていた山である。
     行政上の地名としては、二十一世紀の現在、貝尾は津山市に存在していない。だからといって、人の住む集落としての貝尾が消滅してしまったわけではない。貝尾の村は、今も字行重(ゆきしげ)内の一集落として、しっかり現存しているのだ。
     事件当時、貝尾には二十二戸、百十一人の人々が住んでいた。睦雄は、そのうち十戸を襲撃したのだが、最初に自宅で祖母の首を斧で刎ねているので、実は半分の十一戸で殺人が起きている。そして、隣村の二人を除いた二十八人の犠牲者のほか、自身も自殺したため、貝尾では二十九人が一晩で亡くなったことになる。
     出征して村に不在だったり、事件直前に睦雄から逃げるように引っ越した一家もいたことから、村の人口は一晩で七十人弱に減ってしまったという。
     また事件後、睦雄の姻戚筋の一家、三家族がほどなく村から出ていった。たまたま修学旅行に出かけていて難を逃れた少年もいたが、親兄弟をことごとく殺害されて、こんな村にはいられない、と言って、やはり彼も出ていった。
     事件後、人魂や幽霊が頻繁に出るという噂が流れたり、怪しげな呪い師が入れ替わり、立ち替わり、貝尾にやってきたりもした。貝尾は呪われた村と言われた。おそらく読者の多くは、こんな凄惨な事件があったのでは、ほどなく村から人の姿は消えて、廃村になってしまったのではないか。そう、想像する方もいるだろう。
     しかし、貝尾の村は消えなかった。
     それどころか、二〇一四年の現代になっても、貝尾は立派に存在している。人口こそ、三十人余りに減り、典型的な高齢者ばかりの限界集落になってしまったが、驚くほど、昔のままに、昭和十三年当時のままに、今も残存している。たしかに人は減った。
     しかし、昭和十三年当時の建物(家屋や物置、札所など)は、今も何軒も残っているほか、住民の名字などを比べると、犯人の係累以外の大半の家は、そのまま被害者や、元の村人の係累がそのまま残って住んでいる。
     だが、睦雄の家は今はもうない。しかし、奥地の倉見という村に行けば、まだ睦雄の生家はほぼそのまま残っている。
     津山事件で親兄弟をすべて皆殺しにされて、男児が一人だけ残された家の子孫(その男児の長男が跡を継いで貝尾に現住)は次のように話している。
    「そりゃ、家族みんな殺されてよ。嫌な思い出だよ。だけど、だからと言って、どこへ住めというんじゃい? ここにしか土地や家がないから、ここに住むしかないんじゃよ、わしらは」
     五月の貝尾は、しだれ桜と山桜が美しい。ホトトギスの澄んだ音色が山間にこだましている。今、村を訪れても、誰もかつてここで世にも凄惨な事件が起きたとは、思えないだろう。
     あの貝尾は、今もここにある。

    詳細のソース
    http://n-knuckles.com/discover/folklore/news001459.html


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